人類が進化するためには、「認識が世界を創るということを、あなたが知るだけでいい」という脱スピリチュアル原論チックなことを、ちょっと真面目に書いてみるブログ

2006-01-08 Sun 12:23
百家創世の世界観1
ここらで、百家創世プロジェクトとしての世界観をまとめておきます。


私達は、自分の住む世界を2つの中から選ぶことができるようだというのが現在の有楽斎の視点です。ひとつは、すでにアプリオリな宇宙というものが自分の存在とは関係なく存在していて、その中のひとつの歯車として自分が投げ込まれ、生まれているという立場ですね。


この立場を選択した場合、私達は自らの住む世界を変化させるために、実に途方もないエネルギーと時間を投資する必要であるでしょう。自分の外部にこそ答や真理があり、この世を貫く公式や公理は私達の影響が及ばない場所にあるからです。つまり、私たちの存在とは無関係に正解は存在するのです。


もうひとつは、アプリオリなものなど何もなく、自分が観て、聴いて、感じる世界がすべてであって、それこそが自分の世界だという立場です。この立場を選択した場合、すべては自分自身であって、ひいては私達は自らが持つ無限の可能性を引き出すことが出来るという立場をとることが可能です。この立場を選択した時に、私達にはもはや自他の区別はないとまで言えるでしょう。


すべては物理的に神経系というフィルターを通した上での自分の認識であり、目の前にいる「他者と映る映像」すら、究極は自分の脳に送られる情報を脳内で合成したものに過ぎないとするのが認知科学的なアプローチです。


ですから、他者と見えるものすら、実は自分自身なのだということなのです。山も川も海もすべては自分が創り出しているという立場です。ファンクショナリズムから派生してコグニティブといわれる分野では、こうした考え方をとるようです。


もちろん、究極はどちらも同じものだとする方もたくさんいらっしゃるでしょう。どちらが優れているというものでもなく、当然ながら、どちらが正しいということもないでしょう。しかし、この事の真偽を諮るという考え方は、自らのコントロール外の世界に「正解」があることを前提とする考え方に基づいています。


誤解を承知で敢えて喩えるなら、前者はバチカンや既存仏教教団の考え方に近く、後者はキリスト自身や釈尊自身の考え方に近いという説もあります。ただ、膨大な哲学大系である仏教やキリスト教学を隅々まで学んだわけでないので、判断は読者にお任せすることにします。



そこで、私達がどちらを選択するのかがポイントです。私は後者を選択しており、同時に百家創世プロジェクトの百家会員の方には、当然ながら後者を選択していただくよう求めています。


(続く)
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